「高宮庭園茶寮」福岡県・”Takamiya Teien Saryo ” Fukuoka Pref

「高宮庭園茶寮(旧高宮貝島家住宅)」福岡県福岡市

日本の近代産業を石炭で支えた福岡県筑豊。数ある炭鉱主のなかでも貝島家は炭鉱王と呼ばれ絶大な財力を誇った一族であった。その当主・貝島太助の弟「貝島嘉蔵」は、兄とともに炭鉱経営に尽力、25歳で失明するというアクシデントを乗り越えその後30年間にわたり炭鉱経営に手腕を振るった貝島家の立役者であり、また盲学校の設立や建設に尽力した人でもあった。嘉蔵は1915年に直方市に大邸宅を建てたが、その屋敷を1927年に福岡市の高宮に移築し福岡市に転居、「高宮貝島家」と名乗った。時は流れ昭和29年頃からその屋敷は住む人もなく荒れ果てていった。福岡市はその敷地を約30年かけて買取り、「旧高宮貝島家住宅」の名称で建物を福岡市登録文化財に指定、雑木林を主に庭園をふくむ広大な敷地全体を「高宮南緑地」として保存。その後、福岡市が公募選定した指定管理会社が結婚式場&レストラン「高宮庭園茶寮」として2021年より運営をスタートさせ現在に至っている。

「旧高宮貝島家住宅」の建物群は総じて大正期の特徴を持つ近代和風建築で、最盛期には1,172平方メートルもの規模を誇ったが、洋館をふくむ居住棟は老朽化が著しく取り壊され、全体の約半分にあたる主屋と茶室が残されている。それらは接客用の建物で、質の良い材をふんだんに用いているが、格式を重んずる書院様式にこだわり、どこか武家屋敷のような趣をたたえ、貝島嘉蔵の控えめで実直な人柄や志を偲ばせている。

まず、玄関は格式高い式台玄関となっている。式台とは江戸時代に殿様が籠を横付けして足袋のまま建物に出入りできるように考案されたもので、明治以降に籠を使わなくなってからも名士や皇族を迎えるような屋敷には形式として残り昭和前期頃まで作られていた。式台の右隣には内玄関があり上部の木材の両端が鳥居のように反って美しい。これと同じ設えの内玄関が旧高宮貝島邸と同時期・大正時代の建築である佐賀市・旧福田家住宅にも残されている。式台から邸内に上がり右に進むと居住棟、左に進めば接客棟となっていた。現在も右には居住棟の一部であった電話室や書生部屋が残されておりレストランの待合室となっている。その奥の居住棟跡地の一部にはウェディング関連のモダンな建物が増築され景観は様変わりしている。

玄関から左に進むとその先には現在も接客空間が続いている。まず応接間と次の間があるが、今はモダンなソファが置かれ煎茶のカウンターが新設されている。この応接間の欄間は武家屋敷でも使われ最高の格式をあらわす「筬(おさ)欄間」である。応接間の前の広縁の突き当りには邸内で最も華やかな 白鷺と燕子花を描いた杉戸板絵 があり、琳派的な美と同時に凛とした気配も併せ持っている。この空間だけでも来客の対応は充分すぎる感があるが、更に奥に進むとこの邸でもっとも格式高い本座敷と次の間が待ち受けている。ここは現在レストランのメインダイニングルームであり、絨毯敷きの床にテーブルが並べられモダンな照明が吊るされた和洋折衷の瀟洒な空間となっている。次の間と本座敷の境の鴨居の上には大正時代の流行である漆塗りの繊細な木枠で縁取られた板欄間に鳳凰の透かし彫りが施され優美だ。当然ながらこの本座敷は長押が回され、天井は高く、柱は杉の四方柾が使われ上質な材をふんだんに用いている。本座敷の床の間の横には一般的には付書院があるが、ここでは3畳敷きの本格的な書院があり、これは滅多に見られないものだ。現在この書院は個室タイプのダイニングルームとなっている。本座敷の広縁の上には客人への最高の敬意をあらわす能舞台の貴人口にも設えられる吹き寄せ菱の欄間がありこの場所が接客空間であることを改めて思い出させてくれる。広縁の奥に進むと数寄屋様式の南八畳と呼ばれる座敷があり現在これらの部屋もレストランの個室となっている。(その他に洋室もあるが、こちらは茶室とともに福岡市の施設として希望者には有料で貸し出されている。)近代和風建築に特徴的な「銅の雨樋」など、建物には見るべきものが少なくない。伝統的な書院様式や数寄屋様式に強く回帰している点など、同じ福岡県内の築上町にある炭鉱主の大邸宅「旧蔵内邸」との類似点を見出すことができるかもしれない。

庭園は施設利用者以外にも無料で公開されている。施設入り口の門脇には楠の巨木がそびえ出迎えてくれる。また門から敷地に進入しカーブして上っていくスロープに沿った階段状の築地塀およびその周辺は大変美しく整備されており清々しい出迎え空間となっている。スロープを上りきった正面にある式台玄関の左手に「主庭」と記されたプレートがありそこが庭の入口だ。舗装された園路を歩けば庭内を回遊できるようになっている。

先に述べておくが現在の旧高宮貝島邸の庭に見るべきものはあまりない。屋敷全体が移築であるため庭園は後付けなうえに、半世紀以上にもわたり住む人もなく荒れ果て福岡市が買収した当時の写真を見ても空き地の中に屋敷だけが取り残されているような状態で、屋敷の周囲に庭園の設えはほぼ失われていた。そもそも高宮貝島家では同じ福岡市内の旧黒田家別邸「友泉亭」を買収し大規模な池泉回遊式庭園を整備し昭和8年に完成させている。よって庭園はそちらを主にしていたとも言えるかもしれない。現在の旧高宮貝島邸の庭は市民に開かれた庭園としてとユニバーサルな観点からつくられたどこか西洋公園的な舗装園路そのものが主な設えとなっている。

このような事情により庭園と言うより「高宮南緑地」に森林浴に行く気分で訪ねるとよいだろう。また一般の緑を愛好する方々とは異なる視点を持つ庭園愛好家諸氏は、昔そこにどのような庭園風景があったかを心のなかで想像しながら散策するのも一興である。その一例として私の想像と考察を簡単に記すので一例として自分なりの考察を楽しんでほしい。

高宮貝島邸における建築群の配置軸は通常なら本座敷の南に主庭がくるように軸を取るが、ここでは本座敷の主庭が東になるというあまり例がない軸をとっていることをまず念頭に置いていただきたい。

さて、式台玄関左手の「主庭」入口には往時であれば庭に入る中門があったはずである。江戸時代からの慣例で客が玄関を通らず、中門から庭に入り縁側から応接間や本座敷に直接出入りすることは珍しくなかった。それを物語るように本座敷の東の広縁の軒下には客人への敬意をあらわす横長の吹き寄せ菱の欄間のようなものが吊り下げられており、客たちがその下を出入りしたことを物語っている。つまり中門から応接間や本座敷にいたる主屋の東側が主庭であり、そこにそれなりの庭園の設えがあったことは間違いない。だが、現在そこには大きな濡鷺型灯籠が1基ある以外は目立った景物はなく建物に沿って植栽があるだけで庭らしい設えは見当たらず、そこが主庭だったとは信じられないような寂しい景観となっている。

しかし、そもそも高台に移築されたこの屋敷にとって眺望こそが庭に代わる最高のものであったことは想像に難くない。往時は本座敷の西から福岡市内中心部や博多湾まで遥かに見通すことができたはずだ。その意味では東ではなく西こそが主庭の位置づけであったのかもしれない。眺望を主役とし手前の庭をその前景と位置付け、奥行を強調する景物だけを庭の手前に置き、あとは視界を遮らないように何もない芝生の空間とするのが最適だったであろう。客人たちが本座敷の濡縁に出て眺望を楽しむ姿が目に浮かぶようだ。

また本座敷に隣接する書院、および以前はその横に並んでいた茶室からの眺望も素晴らしかったはずだ。書院は磨りガラスの障子を開いたときに好きな景色を切り取れるし、広間の茶室のガラス障子は低い位置を透明ガラスにして正座した位置から景色がよく見えるように設えられていた。このように眺望の見せ方にバリエーションを持たせることで同じ景色を何倍にもして楽しんでいたのではないだろうか。

ただし雑木にはばまれ肝心の眺望が失われた現在では芝生だけの空間はあまり意味がない。庭園として見せるために現状にあわせた新しい設えがあるべきでは?と思う。

また、本座敷の北は西と連続して芝生の空間となっている。この場所は式台玄関から屋敷に上がるとまず初めに正面に見える庭であり、往時は右手にあった居住棟が一番奥の主人・嘉蔵の部屋にむけて美しい雁行形で連なる大変美しい風景が見えた場所である。ゆえにもそれなりの庭の設えがあって然るべき場所にも関わらず現在では芝生の中に忘れ物のようにポツンと2本の槇の木と灯籠があるだけの漠然とした空間となっており、なんとも不自然と言わざるを得ない。通常なら池庭などがあって松などが植えられていてもおかしくない場所だが、往時はどうなっていたのか今となっては想像するしかない。

先の述べた通り、屋敷南の傾斜地の雑木林のなかにある茶室は本来は主屋の書院のすぐ南隣に繋がっていたものを切り離して独立させ「離れ」として移築したものだ。内部には小間と広間があり、外観は瓦葺きでどこか旅館の離れのような印象だ。また、この移築された茶室には四つ目垣で仕切られた小さな露地が新しく作られているが、本来の露地は茶室が元々建っていた主庭の南端、現在の「南八畳」のあたりにあったはずだ。客たちは「南八畳」「洋室」「本座敷」「応接間」それぞれを寄り付きとして身支度を整え、縁側から露地草履を履いて庭に降りて露地に建っていた腰掛待合で茶会の始まりを待ったのであろう。現在ではそのエリアに露地の面影はない。また内露地と外露地に分かれていたかどうかも今となっては不明である。

雑木林の傾斜地には今では枯滝や枯池があるが、昔は水があったのではないだろうか。滝に水が流れ池に水が戻れば庭は息を吹き返し、鳥などの生き物も戻ってくるだろう。是非とも修復してほしい。

このように見どころの少ない庭にあって、本座敷書院西側の縁先手水鉢周辺の凝った設えは唯一の日本庭園的な見どころだ。六角形の木材を集めて柱状節理の花崗岩の断面にも似た亀甲模様を作り出している竹縁や、大きな縁先手水鉢や石灯籠などが、背後の主屋から張り出した書院の建築と一つに調和して美しい空間を創り出している。書院の屋根は現在では金属板で葺かれているが本来は檜皮葺かこけら葺きだったのではないだろうか。武家の潔さに加えて社殿建築に通ずる簡潔な美、そして貴族的な雅やかさやを漂わせている。

庭園の管理に関しては、敷地内に置かれている複数の手水鉢の清掃が行き届き、澄んだ水がはられているのは高く評価できるが、食事中の客からその作業が見えるのは褒められたことではない。手水鉢の清掃や水張りは、打ち水と同じで客の到着前に済ませておくべき「もてなしの基本」である。高宮庭園茶寮はまだ始まったばかりの施設、今後の展開に期待したい。

レストランの食事も紹介しておこう。ダイニングルームのテーブル席に案内されると、まず最初にその日の調理で使う野菜類や、出汁の素材「焼きアゴ」などを詰め合わせた箱が運ばれ実際に眼の前で見せてくれる。前菜の盛り合わせが出されるタイミングで料理の基本となる出汁も飲ませてくれる。これは京都の一流料亭旅館などで流行している最新のスタイルだ。フレンチと和モダンがフュージョンした料理は健康的で日本人外国人問わず幅広い世代に楽しめる内容となっている。また施設名に「茶寮」と冠しているだけあって、コースで出される各料理に合うように「冷水」「ほうじ茶」など1種類の茶葉を異なる淹れ方で飲ませてくれるのもレストランの大きな特徴となっている。

庭園に関してはそれだけのために足を運ぶと言うより、食事のついでに散歩する程度の捉え方がよいだろう。舗装された園路コースだけなら車椅子でも回遊可能だ。またたとえ施設が高台の上にあっても、門から入ったすぐ右手にエレベーターが設置されているので車椅子でも問題はない。レストラン利用者へは室内専用の車椅子の貸し出しもある。

貝島家に関連する庭園や邸宅は他に福岡市に「友泉亭公園」公開、福岡県宮若市に「旧百合野山荘・旧貝島六太郎邸」非公開、がある。

◼︎名称:「高宮庭園茶寮」(旧高宮貝島家住宅)

◼︎住所:福岡県福岡市南区高宮5丁目16−1

◼︎TEL : 092-710-1367

◼︎拝観料:庭園のみ無料公開

◼︎公開時間:平日:12:00~18:00/土日祝:10:00~18:00

◼︎休館日:毎週月曜日

◼︎駐車場:施設利用者のみ有り(無料)

◼︎アクセス:西鉄大牟田線「高宮駅」中央口より徒歩5分。

“Takamiya Teien Saryo (Former Takamiya Kaijima Family Residence)” Fukuoka City, Fukuoka Prefecture

From the Meiji period to the Showa period, there were wealthy coal miners in Fukuoka Prefecture who owned coal mines in Chikuho, which supported Asia's first modern industrial revolution with coal. They left luxurious mansions and Japanese gardens in Fukuoka Prefecture, many of which are now donated to local governments and are important cultural assets for citizens. The Former Takamiya Kaijima House (Takamiya Teien Saryo), which I will introduce this time, is one of the legacies left by them. Among the coal miners in Chikuho, the Kaijima family was called the coal mining king. Yoshizo Kaijima (1856-1935), one of the members of the Kaijima family, built a large mansion in Nogata City in 1915 with a Western-style building and multiple Japanese-style buildings connected. In 1927, he relocated Nogata's mansion to Takamiya, a high-class residential area in Fukuoka City. At its peak, the mansion boasted a huge scale of 1.172 square meters, but now only about half of the Japanese-style ``main house 507 square meters'' and ``tea room 71 square meters'' remain.

The mansion was designated as Fukuoka City's registered cultural property under the name of 'Former Takamiya Kaijima Family Residence', and was donated to Fukuoka City by the Kaijima family in 2005 along with its extensive grounds. Fukuoka City publicly recruited an operating company, and from 2021 it will be operated by a private company as a wedding hall and restaurant "Takamiya Teien Saryo".

Only the garden is open to the public free of charge for non-facility users. Unfortunately, most of the space in the garden of this mansion is not established as a Japanese garden because of the impression of "vacant lawn" and "grove of trees". One of the few highlights is the giant Nuresagi-style stone lantern at the entrance to the garden, and the Ensaki water basin outside the window of Honzashiki, which is now the dining room. In addition, the surroundings of the sloped stepped fence that curves to the entrance are beautifully maintained. The food in the restaurant is also very delicious, so it is recommended. As for the garden, it is suitable for taking a walk while eating.

Other gardens and residences related to the Kaijima family include 'Yusentei Park' (Fukuoka City), which is open to the public, and 'Former Yurino Sanso and former Kaijima Rokutaro Residence' (Miyawaka City, Fukuoka Prefecture), which are not open to the public.

◼︎Name: “Takamiya Teien Saryo” (former Takamiya Kaijima family residence)

◼︎Address: 5-16-1 Takamiya, Minami Ward, Fukuoka City, Fukuoka Prefecture

◼︎TEL: 092-710-136

◼︎Admission fee: Only the garden is open to the public for free

◼︎Open hours: Weekdays: 12:00-18:00 / Saturdays, Sundays, and holidays: 10:00-18:00

◼︎Closed: Every Monday

◼︎Parking lot: Only available for facility users (free)

◼︎Access: 5-minute walk from the central exit of Takamiya Station on the Nishitetsu Omuta Line.

日本庭園       The japanese gardens

九州と中国地方の日本庭園を中心に紹介するサイトです。 This site introduces Japanese gardens in the Kyushu and Chugoku regions of western Japan with beautiful photographs and explanations in Japanese and English.

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