「ホテル白菊・百年庭園」大分県 ・Hyakunen teien / Hotel Shiragiku" Oita Pref.

ホテル白菊・百年庭園」 大分県別府市

別府を代表するこのホテルの歴史は昭和25年「白菊荘」という小さな旅館からはじまった。やがて旅館は「ホテル白菊」と名を改め12階建ての近代的なビルに建て替えられたが、残された「日本庭園」と「菊の間」が創業当時の姿を今に伝えている。

この日本庭園はビルの谷間に奇跡のように残された小さな庭だが、散歩を楽しめる立派な池泉回遊式庭園だ。池には石の反り橋が架かりその前後には飛び石が浮かび足元の水中を泳ぐ鯉たちが間近に見られ楽しい。池にせり出す「菊の間」の床下も見落とせない鑑賞のポイント、さながら山深い渓谷の崖のように野趣あふれる石組みはもちろん、池におかれた土台石に乗る柱の根元は石の形にピッタリ合わせてカットされた光付と呼ばれる超絶技巧だ。向こう岸に渡ると大きく立派な雪見灯籠が出迎えてくれる。さらに飛び石の上を進むと清涼な水音を響かせる「白菊の滝」を間近に望める。さらに進んで一番奥の石段を登り築山の上から庭を見下ろして一息つき、再びいま来た道を引き返して歩いていくと、池が二段に分かれていることに気がつき驚く。石橋の右手に滝がありさらに下にも池があって水が流れ落ちているのだ。なんとまあ小さな空間に変化に富んだ地割りがなされたことかと感心ひとしきりだ。この様子は東館の階段室のガラス窓越しに見ることができる。また、宿泊客専用ラウンジ「鶴の間」からのぞむ庭は小さな宝箱のように美しく、そこだけ時が止まったかのようだ。そう言えば筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いだ柳原白蓮は、「銅御殿・あかがねごてん」と呼ばれた銅板葺き屋根の豪華な別府の別荘をよく訪れ東京から多くの文化人たちを招いてサロンにしていたとか。「菊の間」の屋根も一部銅板葺きである。昔の別府に想いを馳せるひととき、それも小さな旅である。

さて、この庭の主役はなんと言っても池にせり出し優雅な姿を見せる「菊の間」である。このような建築スタイルは貴族の寝殿造りの様式の一つ「釣殿・つりどの」にはじまる。そこに男性的で厳格な武家の「書院」様式、遊び心を添える数寄屋様式も加わり、新しい時代の階層を超えた釣殿として定着し、明治末から大正・昭和初期にかけて上流階級の別荘から庶民も利用する旅館などの建築として流行し各地に建てられた。その作例は九州山口にも多く福岡「友泉亭公園」山口「松田屋ホテル」などがあるが、とりわけ同じ大分県内中津市で戦前一世を風靡した劇場「蓬莱観」もこのスタイルで別府から大勢の客が訪れていた経緯もあり「菊の間」のモデルになった可能性が高い。「菊の間」の特徴をあげるならば品が良いことであろうか。外観には社寺建築に多い「刎ね高欄」や「擬宝珠高欄」が取り付けられ、また内部の天井の竿縁は最高級の四方竹、付書院の欄間は格調高い格狭間模様、床の間の狆潜りは禅宗寺院の格式高い火灯窓を縦半分にしてあしらい、庭の雪見灯籠の火口(灯窓)も同じ火灯窓として連続性をもたせるなど、贅と工夫を凝らしつつもやり過ぎることなく品格ある設えに徹して客への最高のもてなしを形にしている。

「菊の間」は2階建てに見えるが二階に部屋はなく、一つの建物の屋根を上・下(上屋・下屋)2つに分ける作りで民家などでもよくみられる建築様式だ。基本的に上屋・下屋ともに瓦葺きだが、下屋の先端部分のみ銅板葺きにし、屋根の先端部は薄く軒先が空間にすっと溶け込み日本建築独特の軽やかな優美さを醸しだしている。驚くことにこの建物の主要部は構造的にほぼ6本の柱だけで支えられている。またよく見ると外観から見る限り二層目の外壁の柱と一層目の構造体の柱に連続性がない。一層目の天井裏から廊下の上に半間ごとに水平に突き出た梁が腕木となり、その上に二層目の一番外側の柱が立てられている。つまり二層目は一層目より外にせり出しているのだ。薬師寺東塔の裳階を思い出すこの建築スタイルは例えば海外のイギリス・チューダー様式などでもみられるもので必ずしも珍しいものではないが、せり出し部分を下屋の斜めの材と組み合わせて一体としたその複雑な設計は大変巧みだ。またこの構造のため廊下の天井は軒先側の外半分のみ傾斜をつけ丸太の垂木を渡して数寄屋様式のくだけた「掛込み天井」にし、残り内側半分は角材を用いた水平の「平天井」にして厳格な書院様式としている。また平天井は半間ごとに長方形に区切られそれぞれに高価な一枚板がはられ豪華な「格天井」の趣となっておりこの建物の大きな見せ場にもなっている。このような建築は個人的には初見だった。なぜこんな構造にしたのか?それは美しい家を建てるという美意識と、匠の技をどれほど駆使できるか?という当時の大工たちの生き様の結果なのだと思う。実は昭和25年に建築基準法が制定され、それ以降このような和風建築は姿を消した。菊の間は明治・大正・昭和にかけて花開いた日本の近代和風建築文化の最後を飾る建物として意義深い。明治に頂点を迎えた日本の大工の技は、戦後の「菊の間」にも確かに受け継がれていた。その証に「菊の間」は近年起こった熊本地震の余波でかなりの揺れを記録した別府にあってもびくともせずに優雅な姿で今もたち続けている。

◼︎名称:「ホテル白菊・百年庭園」

◼︎住所:大分県別府市上田の湯町16−36

◼︎TEL: 0977-21-2111 

◼︎見学:数年前まで一般客も利用できるレストランでしたが現在は宿泊者専用ラウンジです。

◼︎駐車場:有り

◼︎アクセス: JR博多駅より日豊本線で2時間10分(別府駅下車)

      JR別府駅西口より徒歩9分

      亀の井バス「ホテルシラギク前」停留所下車

別府ICより車で13分

大分空港より車で50分

"Hotel Shiragiku / Hyakunen teien " Beppu City, Oita Prefecture

The history of Hotel Shiragiku, which represents Beppu, began in 1950 with a small inn called Shiragikuso. Before long, the ryokan changed its name to "Hotel Shiragiku" and was rebuilt into a modern 12-story building. However, only the Japanese garden and the Kiku-no-ma remain as they were when the hotel was founded, giving the hotel dignity and making it a major feature.

This Japanese garden is a miraculous space left in the valley between buildings. The garden is small, but it's a nice Chisenkaiyushiki garden where you can enjoy a stroll. A curved stone bridge is built over the pond, and stepping stones float in front of and behind the bridge.

The underfloor of the Kiku-no-ma, which protrudes into the pond, is also a point of appreciation that cannot be overlooked. Just like the cliffs of a deep mountain valley, the rock formations are full of rustic charm.

And the roots of the wooden pillars that stand on top of the foundation stones placed in the pond are a transcendent technique called Hikariduke, which was cut to fit perfectly with the natural, irregular-shaped stones.

The centerpiece of this garden is the graceful Kiku-no-ma, which juts out into the pond. Such an architectural style begins with the 'Tsurido', which is one type of shinden-zukuri style for aristocrats. In addition, the masculine and strict samurai 'Shoin' style and the playful sukiya style were added to it, and it became established as an architectural style that transcends hierarchy in the new era after the Meiji period, and was particularly popular during the Taisho and early Showa periods. It was built in various places from the villa of the upper class to the inn used by the common people.

Surprisingly, this wooden building "Kiku-no-ma" is supported by only six thin pillars.

Even more surprising, the outer pillars of the second floor stand on beams that span over the thick brackets that protrude above the corridors on the first floor. There is no vertical support under the pillars on the second floor. It's a very clever design.

The techniques of Japanese carpentry, which reached its peak in the Meiji period, were certainly passed down to the carpenters who built the Kiku-no-ma after the war.

Kiku-no-ma, which stands in Beppu, where considerable shaking was recorded in the aftermath of the Kumamoto earthquake that occurred in recent years, is still here in an elegant appearance as if nothing had happened.

◼︎Name: Hotel Shiragiku / Hyakunen teien

◼︎Address: 16-36 Uedanoyumachi, Beppu City, Oita Prefecture

◼︎TEL: 0977-21-2111 

◼︎Visit: “Kiku no Ma” was a restaurant open to the general public until a few years ago, but now it is a lounge exclusively for hotel guests. The Japanese garden is also an area that only guests can enter.

◼︎Parking: Available

◼︎Access: 2 hours and 10 minutes on the Nippo Main Line from JR Hakata Station (get off at Beppu Station)

     9 minute walk from JR Beppu Station West Exit

     Take the Kamenoi Bus and get off at the "Hotel Shiragiku-mae" stop

     13 minutes by car from Beppu IC

     50 minutes by car from Oita Airport

日本庭園       The japanese gardens

九州と中国地方の日本庭園を中心に紹介するサイトです。 This site introduces Japanese gardens in the Kyushu and Chugoku regions of western Japan with beautiful photographs and explanations in Japanese and English.

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